郷土自慢

郷土自慢[根記事一覧]

職員0062016/05/24 09:39:15(3票)

毎年5月なると道の駅「めぬま」のバラ園へ足を運びます絵文字:重要







色とりどりのバラが本当に美しいです。
まさに妻沼の郷土自慢になりますので
行ったことのない方は一度行ってみてください。

職員0062016/02/09 14:20:04(3票)

妻沼展示館には車両が置いてあるのを知っていますか?

東部鉄道熊谷線(通称妻沼線)の車両です!
昭和58年まで熊谷~妻沼まで電車が走っていたのです。

中も入れて当時の駅の様子がパネルで展示されています。

掲示板に由来が詳しく載っていますので、ぜひご覧になってください。

職員0032014/08/05 14:42:22(3票)

秦小の学区には俵瀬(たわらせ)という場所があります。俵瀬は日本の女医第一号,荻野吟子女史生誕の地です。
すぐ脇には,阪東太郎と親しまれている利根川が流れています。春には土手に菜の花が咲き誇ります。
河川敷には日本でも有数のグライダー滑空場があり,毎日,学生たちが大空を飛んでいます。
利根川の北に上州三名山の赤城山がそびえ,さらに東には日光男体山が富士のような姿でそびえています。
西に目を移すと,浅間山が冬の間真っ白にお化粧して優美な姿を見せてくれます。
秦小の周りは荻野吟子女史を生んだ,豊かな田園風景が広がり,元気な子どもたちが目を輝かせて毎日学習しています。

荻野吟子女史は寺門静軒の影響を受け、高弟で漢方医の心得のある松本万年によって才能を磨かれました。
23歳のとき奥原晴湖と共に上京、明治初期、女性は医師への道が閉ざされていましたが、数々の困難を克服して
明治18年医術開業試験に合格。日本公許登録女医第1号となり、35歳にして東京・本郷湯島で開業しました。
その後は北海道瀬棚町にわたり、晩年は帰京して東京本所で婦人・小児科医を開業しました。
その生涯は渡辺淳一の小説「花埋み(はなうずみ)」などで広く世に紹介されています。
平成18年5月には、生誕の地に荻野吟子記念館がオープン。

熊谷デジタルミュージアムにPDFやYouTubeの詳しい資料があります。次のリンクをご覧ください。


職員0032014/08/05 14:44:31(4票)

関東一の「あばれ神輿」として知られている大杉神社の大祭が,
7月27日(日)に開催されました。お祭りのクライマックスである
利根川へ神輿を入れる時に,土砂降りの雨になりました。
それでも,神輿は利根川へ入って行きました。
本校の児童もおはやしの練習に取り組み,
地域の活動に参加させていただきました。
詳しくは,以下のリンクでご覧ください。
関東一のあばれ神輿(熊谷市HP)

<荻野耕次郎氏提供の写真>
 

 

 



<校長撮影>
 

 

 

職員0032014/08/05 14:43:51(2票)

秦小の横の利根川には,日本一のグライダー飛行場があります。
毎年,グライダーフェスタが開催され,大勢の方が訪れます。
空を舞うグライダーは,とても優美です。秦小へおいでのときは,空を見上げてみてください。


この画像は運動会時に撮影したものです。
グライダー滑空場のくわしい情報はhttp://www.city.kumagaya.lg.jp/kanko/midokoro/glider.html

職員0032014/08/05 14:41:13(3票)

「歓喜院聖天堂」が国宝に指定

速報「歓喜院聖天堂」国宝へ
歓喜院聖天堂 奥殿の彫刻 (熊谷市HPより)

埼玉県で建造物としては初めて,国宝指定されました。
詳しくは次のリンクをご覧ください。
http://www.city.kumagaya.lg.jp/kanko/midokoro/menumasyoudenzan/kangiinkokuho.html

職員0032014/08/05 14:38:38(2票)

最期まで平家への忠信を貫いた「智」の武将

平安時代末期に活躍した武士。
久寿2年(1155)、源義平が叔父源義賢を討った大蔵館(嵐山町)の戦いでは、
義賢の子で2歳の駒王(後の木曽義仲)を保護し、木曽に送り届けたといいます。
保元の乱、平治の乱では、源義朝につき活躍をしました。
その後は、平家との結びつきを強くし、平家領である長井荘の荘官となったようです。
治承3年(1179)には、妻沼聖天山を開いたとされます。
源平の合戦(治承・寿永の乱)では、一貫して平家方につきます。
治承4年(1180)の富士川の戦いでは、「東国の案内者」として、東国武士について進言したといいます。
寿永2年(1183)、篠原の戦いで、味方が落ちていく中ただ一騎踏みとどまり、
幼い頃助けた木曽義仲軍に討たれます。
黒髪に染めた実盛を見た義仲は、さめざめと泣いたと伝えられます。
実盛の子、宗貞・宗光も、平家への忠誠を貫きました。
実盛の言により、平清盛の嫡孫平維盛に妻子の警護を命じられ、
子の平六代に最後まで仕えたとされています。

斉藤別当実盛公
熊谷デジタルミュージアムアドレス:http://www.kumagaya-bunkazai.jp/museum/ijin/sanemori.htm